Love Letter 1通目
お2人に対する、荷の重いきんき愛1通目。
実際の馴れ初めとか、言葉足らずだったこととか、自意識過剰で誇大妄想です。
今から書くことは、もしかすると書かなくてもいいことかもしれないんですけど、
記事にしておくことで何となく気持ちの整理がつくかな…なんて思うております。
えー…
私ときんきさんの本当の意味でのはじめての出会いは、さかのぼること十数年前。
私が何でもドレミで聞こえたり何でも色で入ってくるこの耳に対して、やさぐれていた時代で、
「ふん!わしゃ病気なんじゃ!」と勝手に悲壮感漂わせ、疎外感を持っているという思春期の病に取り付かれていた頃です。
そんなマイナスオーラ全開の私のまわりでは、第何次かのジャニー○ブームが到来しており、
当時デビューしてたのかしていないのかわかりませんでしたが、どうもっちん2人の噂は良く耳にする様になりました。
この当時の私は、「なんやねんこの耳は!わしの耳どないなっとんねん!」とやさぐれ中二病みたいな感じで、
ブラックミュージックやオルタナティブ・ミュージック、果てはジプシー音楽まで聴いてありとあらゆる音楽漬けの日々を送っておりました。
自分の耳にあう音を見つけたいなという、いわゆる音ジプシーです。
世の中の動き(っていってもクラスとかの狭い範囲の話ですが)を、遠くからねとっと見る私を案じ、
友達が「かいこちゃん、変な音楽ばっかきいとらんと、たまにジャ●ーズとかも見たほうがええよ」と、
教えてくれたのが「若葉のころ」。
思えばこの頃から、どこかきんきファンの人は優しかったのかもしれません。
そして、「若葉のころ」を見てその最後に流れる調和の取れた声を聴き、
「ああ、この音ええなあ…」と思ったのが、FRIENDS。
そして友達に「これ歌ってるの人らなんていわはるの?」と聞き教えてもらったのが、キンキキッズ。
それが私と彼らとの本当の意味でのはじめての出会いになります。
そして、ちょっと触れておきたいことがあります。
これは書くかどうか迷っていて、でも、今後誤解を生まないようにするためにも、
そしてお2人に迷惑がかからないようにするためにも書いておかなくてはならないことだと思い、書かせていただきます。
絶対音感ていうものについて、です。
何となくコメント欄やコンレポ等でさらっとこの絶対音感というものに触れていました。
なぜさらっと触れていたかというと、それを私は全て説明できるほど頭はよくないし、
真面目に研究しているわけでもないし、実際にこの絶対音感というものについては結論が出ていないと思っているからです。
それを、絶対音感を持っていても、いなくても、「絶対音感てこうだぜ!」という事をばっさりとはもちろん書けないし、
それを真面目に研究している方(私の知り合いの教授含み)にとって凄い失礼なことではないか、説明できるわけでもないこの世界を。
…というのがありまして、さらっとしか書いてませんでした。
結局私も説明が十分出来ないものを、どう書いていいのかわからないままブログを書いていました。
じゃあ、記事にしてはいけないのではないか?という話かもしれません。そう思っていただいても結構です。
なぜ記事にしたかというと、ちょっとだけ伝えてみたかったという自分のエゴです。
愛のかたまりならぬ、エゴのかたまりです。エゴかたです。
♪ピンクがかって聴こえる音も 急に藍がかる音も
私には全てが宝物 幾度と無く聴かせて〜
という状態を、ちょっと伝えてみたかったという、そんな感じです。
で、私は昔から絶対音感という言葉自体が苦手です。
苦手と言ってしまうと、それも、この言葉を生み出した方に失礼なんじゃないか…とかいう気がして書きませんでしたが、
絶対というと、私個人的な感覚ですけど、すんげエラそうにきこえるんですよ。
絶対という言葉って、なんか「オラ!絶対ていうてるんやから、絶対や!」みたいに打ち付ける感覚に聞こえてしまうのです。
逆に友達の言うように、変態音感といわれるほうが気持ちは楽です。
でもその変態音感と書くことによって、一部の絶対音感者の方への影響もあるのかなとか、そう思ってしまって書けずにいました。
まず、このブログを見ている人なんてそうそういないよとか思いはするなかでの、自意識過剰と誇大妄想で書くことをお許しくださいませね。
私はこの耳が嫌で嫌で普通の音を音として楽しみたかったんです。
その気持ちはいまだにあります。
でも、上手くお付き合いを続けていこうというスタンスに切り替えることにより、なんとか状態を保持しているという感じです。
ただ、音感保持者の中には、多分私とは全く逆で「絶対音感って最高!」と思っている人もいるんじゃないかと思うんです。
それを私が「絶対音感てこうでこうやで!」と書くと、その方々の気持ちを真っ向から否定してしまうことになるのではないかという、
そんな気持ちがありました。
私はそう思う方々の気持ちは否定する気はありません。そう思う気持ちはあって当然と思いますし。
そして、普通の音と書くこと、それもなんか自分の中で差別しているんじゃないか…
そんなことは思っていないのに…皆さんの楽しむ音が全てでいいのに…私に聞こえる音は絶対でもなんでもないのに…
と悶々もん悶々と、悶々しておりました。
ね、馬鹿でしょ…。
という事で絶対音感とはどういう状態なのかを私の分かる範囲で書いて、
そして絶対音感者の共通項と共通してないものをあげてみたいと思います。
今から書くことはあくまでも研究範囲で、結論が出ていない分野の話です。
そのため、もし悪影響が出てしまったら本当に申し訳ないと思っています。すいません。
まず私が自分の音の聴こえにに気がついたのは、秋田のばあちゃんちに行った幼児期。
山の小鳥のさえずり、木のさわさわ、すべてがドレミで聞こえました。
それが多分はっきりと気がついたはじめてかな?と思います。
そしてそのことを、ずっと普通だと思っており、小学校低学年の時冷蔵庫の音ってこの音で嫌だよね、
と友達に告げ、「な?何言ってるの?頭おかしいんちゃう?」と言われたことから私の悶々ヒストリーははじまります。
で、その後に起こった色んな事を書くと不幸自慢に聞こえちゃうのが嫌なので、あえていろんなことはかっ飛ばします。
絶対音感の知り合いや先輩と話したり、研究されている教授と考え付く共通項としては、
1.ほとんどの生活音が音階で聞こえる。でも、意識して入ってくる場合と無意識で入ってくる場合とがある。
(但し、幼児期の生活環境によりドレミで表現する人もいればCDEで表現する人もいます。)
2.不協和音が分かる。しかもヘルツ(周波数・振動数)、デシベル(音圧?)単位で。
(但し、聴こえ方は様々。不協和音は分かるけどやんわりの人もいれば、パッキリの人もいます。私は教授曰く後者らしいです。)
3.音の幅、高さ、音域、ユニゾンの場合の音の距離が分かる。
(例えばソプラノは、「そこからそこまでの高さのところをソプラノというみたいだね!」ということを言ってドン引きされるといった具合です…)
4.共感覚の一種である。
(これは、もっと深い世界になります…)
5.先天性のタイプと後天性のタイプがある。
(後天性については、幼児期の音楽学習でいくらでも絶対音感の子供を育てることが出来るらしいです。)
多分共通項ってこのくらいでしょうか…。
そして、絶対音感保持者の中には単音が色で見える人、和音も色で見える人、
音の旋律そのものも色で見える人、凄い人だと歌詞に色ついて見える人までいます。
面白いのは、そのジャンルの音楽、例えばクラシックしか色ついて見えないという人もいるのです。
また、どんな音にも色がついて見えない絶対音感保持者の方もいます。
そのため、色聴は絶対音感者の誰もが保持しているわけではありません。
そしてその色の表現も特殊。
色を絵の具の色で表現する人もいれば、存在する物体の色で表現する人もいます。
赤をリンゴの赤で表現したり、絵の具のカーマインで表現したり…。
また、聴く音によって赤の質感が違う場合もあり、なかなかに理解されない世界です。
そして、この絶対音感の研究が進まない理由は、その聴こえの幅だったりの個人差が大きい点と、
病気だと思っている人と能力と思っている人とでは、研究材料となることに対しての熱意に大きな幅があるためです。
研究者としてはそれは難儀なことだと思います。
実際私は前者でしたので、研究材料として見られることにやさぐれていました。
そして、私はその色聴を能力とも言いたくないのです。
どこかの記事のコメント欄にも書きましたが、私の耳に聴こえる音は、スピリチュアル的なオーラだったり、心霊的なものでは全くありません。
実際心霊体験はしたことがありません。時々生々しい夢を見るくらいです。
「われの音はこうやで!がんばりや!」みたいなことを告げるために生まれてきました私!みたいな、そんな世界ではないのです…。
ただ、これもこう書くことで、私の耳って神秘…ホワ…と思っている人に迷惑かかるんじゃないかとか、そんなことを思ってしまうのです。
神秘と思っている方はそう思っていただいていいと思うから…。ややこしい…。
だから今後、私が色のことを書くことで、なんていうか、「きんきさんの色はこうやねん!」みたいに、決め付ける感じに取られると、
おふたりにすっごい迷惑がかかるし、だって光一さんも各々の感じ方で聴いてちょうだいな!みたいなことを言っているし、
(そういくとスワンソングは近距離恋愛ソングだな…ふふ…あ、個人的感覚ですよ!)
何よりファンの皆さんの音楽を楽しむ幅を狭めることになるのではないか、って思ってしまってました。
こんなにきんきの音はいいよって、もっといろんな人に好きになってもらえればいいのにって書いてきたけれど、
逆にそれは、きんきさんの音の可能性を狭めて逆のことをしているんじゃないか、何より、
きんきさんの音がいいことを伝えることは、きんきさんにとってファンの人たちにとっていいことなのか…
…どうなんだい、俺の音感!
となったんです。どえらい誇大妄想スイマセン。
なんていうか、その、「ああ、こやつの耳には光一さんの音、純白で入ってきてるんやね…うふふ…」くらいの軽い感じで、
もし萌えどころがあったら、そのときは浅くも深くも萌えていただいて…どうぞ…、
ただ、私の耳に聴こえるきんきさんの音や色は、ずべての絶対音感保持者の方がそう聴こえるわけではない、
絶対的ではない、その「絶対」音感ではなく、皆さんと同じように聴いて、でも感じ方は十人十色で、
ただ私の変態耳に入ってくる色情報に萌えています☆それをご紹介〜☆
ということなのでございます。
それを開き直って書いたりしてよいものかどうか迷い、書けませんでした。
紫さんのあの音のことも、ね、がんばるよからどうして聞けなくなったのかも、それは、
変な耳と言ってしまった私が書くことで決め付けになるんとちがうか……と。
あー嫌だなあ、わたし。書いていてがっくりくる…。
ただひとつ、いえることとしては…共通項のひとつの不協和音は必ず分かりますので、きんきさんの音は不協和音じゃあないと思います。
色んな音感友達にJアル聞いてもらった結果だからこれは言ってもいいかな?なんて思ったりしてます。
個人的な考えですけれど、
多分この感覚って、人誰しもが持っていて、その分野を使ってるか使ってないかそれだけなんじゃないかと思うんですよ。
進化の過程で、生きることに必要な知恵を取捨選択してくる中で、この音感というものはいらなかったものではないかと、そう思っているんです。
だって、
小鳥のさえずりがドレミで入ってきたり、掃除機や冷蔵庫がドレミの不協和音で聞こえたり、
気を抜いてると、地下鉄のレールのこすれる音もドレミの不協和音で聞こえて
地下鉄なんかでは寝られなかったり(逆に気持ち悪くなる)(深夜バスはトラベルミンですぐ寝ます)、
車のエンジン音、救急車も全部音で入ってしかもお願いしてないのに色づいちゃうし、
合唱合奏の会では合唱だとみんなそれぞれのドレミを出すから、どのドレミにあわせてよいかわからなくて歌えなくて迷惑かかるし、
カラオケで突然半音あがるとどうしていいのかわからなくなるし…
…そんな感じだからです。
そして私が一番嫌なのは、不協和音(声も楽器の音も)に敏感だということです。
これもどこかで書きましたが、ある仲良しに見えるグループがいたとして、その人らが歌うとします。
仲良く歌っているのに、不協和音に聴こえてむずがゆくなります。
「?」と思いますが気にせず聴いていると、「音楽性の違いによる脱退」「解散」のニュースが飛び込みます。
また、あるグループでない歌手の方がいたとします。
その方がへんな歌い方、今までとは違う重苦しい歌い方(分からないところでのピッチのずれなど)をします。
その後、「付き合っていた人と別れました」「家族の死がありました」など、そのほかにも色々そういったことが続き、
音を音として楽しめなくなりました。
これは一体どういうことなんだろうと怖くなったのでございます。
だから、ちょっとでも不協和音になるとその後の音を聴くのが怖い…というかその後の顛末を見るのが怖くなり聴かなくなりました。
これを書いてしまうと、何かおっかないんですけど、まあそんな耳なんです。
そして、今はそれを深く受け止めないようにしています。怖いから。
で、この不協和音が聴こえるって言う共通項も、わたしの周りの人とその教授、世界で進めている研究の一部であり、
実際問題どこまでが、どういう状態なのか分からないところが現状です。
難しく説明がつかない分野なので、この不協和音のところも、何となくこの人にはこう聴こえてるんやな…
くらいのノリで感じていただければ!じゃないと本当に怖いので!
なんか、自分の耳の不満ぶちまけたみたいになってすみません。そういう記事を書くことが嫌だったんです。
書くことで自分の耳は人とは違うということを、認めなきゃならない、そんな気もして。
という感じです。
うっふふ、ぶっちゃけてしまった!
ごめんなさい。色々と。
そして昨日、完徹して書いた記事が、今読み返しても恐ろしいのですが、
実際の私はあれだけ変態だよということがわかってもらえると嬉しいかな…なんて、
いや変態だっていうことをわかってもらうのが嬉しいってどうかしているかな…、
いや、それが変態なんじゃないの自分…、
と変態の堂々巡りをしてもどうしようもないのですがね。
というわけで重苦しいラヴレター1通目、ということは2通目もあります!
どんだけ重いねん!!
そして恥ずかしい記事は深夜の人目がつかない時間に載せるということをおぼえた私です。