忘れるということ
昨日は主人の母方の祖母の一周忌の法要でした。
生きているときに祖母に会ったことがあるのは片手で数えるほどしかなく、いずれも祖母のお見舞いのときでした。
母方の祖母は晩年、老人性痴呆性の傾向が見られお見舞いにいくごとにそれがすすんでいることがわかりました。
最後になってしまったお見舞いの日のこと。
最初に会ったとき、「あらこの女の子だあれ?」とわたしを見てにっこり微笑んでくれたおばあちゃんは、
私を見るなり「ほとけさま!」と言ってわたしを拝んできまして、びっくりしました。
義母に「あらーありがたい顔してはるんやねえ」と言われたのですが、別にありがたくもなんともない、
普通すぎる顔なのでもしかすると私の後ろに何か見えていたのかしら?まで思ってしまいました。
主人の顔はいつまでも覚えているらしく、主人が「ぼく誰だかわかる?」と聞くと、「Y!」と元気にはなして、
「いい人相してる子だ!」と言われていました。主人はそれが今でも忘れられず心に残っているそうです。
でも、
義母を呼ぶときは「おねえちゃん」。
屈託のない笑顔で、時には甘えたい顔をしてそう呼ぶのです。
でも義母は気丈に「Cちゃん大丈夫よ、オムツかえるだけだからね」とにこやかに介護をしていました。
そんな姿を目の当たりにした主人と私は、なんともいえない気持ちになって帰る道すがら、
「自分がお腹を痛めて生んだ子を忘れるって怖くはなかったかな」
「自分の母親に自分のことを忘れられるってものすごく辛いよね」
と、義母と祖母に聞かなきゃわからないようなことを勝手に想像して落ち込んでいました。
自分が介護される立場になったら宜しく〜とふざけて言ってくる主人に、
宜しくされません、自分のことは自分で〜とふざけて返しました。
「なんだよ!ひどい奥さんだな!ほかの人に下の世話されてもいいの!?」とうっへっへと笑っているけど、
そのうっへっへも、こんな答えなんてわかりきっている会話も、できなくなるときが来る可能性があるのかと考えるとちょっと寂しくもなり。
そんな会話を繰り返し、家路についてから1ヶ月後に危篤の知らせを聞いて病院に駆けつけ、
私ははじめて病院で旅立ちを迎える人の一部始終に立ち合いました。
その場には主人と私と主人の父と叔父。
義母がいないのに私はいてもいいのかと思ってましたが、誰も何も言わない小さな部屋ではそんな疑問を
投げかけることはものすごく失礼に思えて、呼吸器から送られる酸素を体を浮かせながら頑張って吸い込む祖母を
黙って見ているしかできませんでした。
ドラマのような泣き叫びもなく、ただただ、心電図を見ながら、どんなにさすってもあたたかくならない
むくみきってしまった手を両手ではさみながら、変な言い方ですが、死を見ていることしかできないのです。
人が死ぬときに、本当に何もすることができないんだなって思い知らされました。
死に向かう人に「頑張って生きて!」と心で唱えることは果たしてその人にとっていいことなのだろうか?
もう楽になりたいんじゃないか?でも「楽になって」とも言いたくない…と思いながら何時間か過ぎ、
祖母は私の目の前で最後の時を迎えました。
天邪鬼な主人は、私の前で弱さを見せることが嫌いです。
もしかすると、私がいなければ、素直に「おばあちゃん」と言って、泣くことができたのかもしれないのに。
そう思うと今でも私は義母もいないあの場所にいてよかったのかななんて思うときがあります。
法事ではそんなことを思い出しながら、追善供養をしておりました。
万事終了し、義母と二人で後片付けをしながら、祖母の話になりました。
話がすすんでいったときに、ついうっかり、「忘れられることが辛くなかったか」を聞いてしまって、サーと血の気が引く思いでしたが
義母は「辛いに決まってるじゃーん☆」と明るく返してくれ、教えてくれました。
痴呆がそこまですすんでいないとき、義母に、「義母のことを忘れてしまうのが怖い」と、祖母が言ったそうです。
義母は祖母に「大丈夫大丈夫」と励ましていたらしいのですが、その何日か後に「おねえちゃん」と呼ばれたときは、
「いろんなものがガラガラと崩れてしまって、ずっと泣いていた」と教えてくれました。
「覚悟はしていたはずなのに、実際に体験すると全然駄目。もう二度と名前で呼んでもらえないかと思ったら、
寂しいは、悔しいはで気持ちの折り合いがつけられないのよ。」
でも、それは最初だけで、何回も行く度に甘えてくる姿が可愛くなってきて、最後は本当の妹のように、
髪を結ったりしてあげたそうです。
「私がお姉ちゃんでも、最後の瞬間まで楽しかったって思って逝けばそれでいいのよ。
私が辛いだけで、お母さんは辛くないんだから。それが私にできる最後の親孝行だと思ったからね。」
お義母さん、凄い…!!
その言葉に尽きるなーと思ったら、「かいこちゃんも多分経験すればわかるわよ」と言われました。
片づけが終わって、近くのホームセンターに買い物に行きながら、主人と色々話していました。
「たぶん、忘れることが怖いって気持ちも忘れちゃうときが来るんだよ。おれ、それ怖いなあ。」
私もそれが一番怖い。
人間は忘れるから生きていけると、何かの本で読んだことがありましたが、
忘れたいことを忘れることができなかったりすることもあります。
それなのに、家族という大事なものを忘れることがある。
大切な人を記憶の一部から失ってそのまま生きるということが、私は相当怖いです。
「もし俺がお前のことを忘れたらどうすればいいんだろうなー」
「私が忘れなければいいんじゃないの?」
「それでいいのかね?」
「多分…」
そんな会話をしたことも、いつか忘れる日がやってきたとき、私はどんな顔で主人を受け入れてあげられるのかは
わからないけれど、死を迎えるときに「幸せだった」だけ忘れないでいてくれたらそれでいいんだろうと思います。
それは主人だけでなく私の実の母や父や姉にも言えることだけど。
もちろん主人の家族にも友人にも言えること。
私のまだ見ぬ新しい家族にも。
痴呆症になった人の介護の大変さは、まだ経験をしていないから何がどう大変かなんて未知の世界で、
実際その立場におかれたら説明しようもない虚脱感とかに襲われたりもすると思います。
でも、義母の言う「自分を死ぬ気で生んでくれた人を死ぬ気で看るのは当たり前」という言葉には、大きく頷けるのです。
私は甘たれなので、本当に介護をされながら暮らしている方にとっては、
簡単に言う言葉じゃないと思われるかもしれないけど、大切な人とはできれば最後まで一緒にいたいと思います。
この気持ち忘れないでいたいな、と思ったので残しておこうかなと思いました。
日記に書くこともこころよく許してくれてありがとうございました。
明日は生まれたての赤ちゃんを奈良に見に行ってすぐ帰ります。
奈良見物も何もできないや…トホホ。
では、お昼ご飯を作ってきます。