5/14 世界遺産劇場 剛さんの石舞台ライブ その2

最初のMCです。


ホテルに帰ってきてメモをちゃんと作ったりしたのですが、眠さと戦いながら筆を走らせたので、見ては「何書いているんだこりゃ???」と驚くぐらい、ミミズが這い回ったようなメモなので完璧じゃなくってすいません。


色々メモのとおり書いたら長いのでたたみます。感想も含んでます。





剛さんの挨拶。

「今日はありがとうございます」みたいな感じだったでしょうか。

「えーブログとかね…ツイッターを見てみたら、懐中電灯いるー?とかそういったことで騒がれていてね…えっへ、面白かったです」

私より忙しいであろう剛様、ブログやらツイッターを確認されているのですか!?すごいー!尊敬!!(忙しいと自分のでいっぱいいっぱいの私なのです…)

ツイッターって言った瞬間に、お客さんがざわついてツイッター人口多いんだなあと思いました。


「きのうはね、えーっと、雲がちょっと少なかったんで…星も見えたんですけど」

ちょうどこのMCのときは雲がもわもわしていました。

「今日こんなにお客さんが集まってくれるなんて考えてもいなかったんですけど…、こうして沢山の方に集まっていただいて本当に嬉しいです。ありがとうございます。」


そして衣装の説明。

「まあなんか、飛鳥、みたいなことでしたので、飛ぶ鳥…朱雀の衣装を着て登場してみました。」

剛さんを正面に見て右側(剛さんの心臓側)の肩口あたりに朱雀が舞い降りた感じで、左側のほうにも羽を広げている感じの衣装です。

虹色の羽が幾重にも重なりきらきら輝いてそれはそれはキレイでした。

私の目には「着物でもリサイクルしたのかなあ?」と見える光沢がありました。

こんな感じの朱雀がプリントされているように見えました。


「ただちゃんとあの、ちゃんと衣装は用意してたんですけど、これ私服なんですけど。」

昨日のリハがあまりにも寒くて、歌にも支障が出るから急遽あったかい格好をしたそうです。

そして、「今日は雨が降らない予定になっています」と教えてくれるつよしさん。

竜神様に雨は降らせないようお願いしたんですが、でも雷だけは鳴らしてほしいとお願いしたので雷だけが鳴る予定です。僕を励ましてくれるように鳴る可能性もあります。」

実際は鳴りませんでしたが、鳴っても素敵だったかも☆



その次のお話で雷ではないものが早速鳴りました。

「今日はほんとにこういった場所で音楽をさせていただく(プワァー!←車のクラクションの音)…まあ相当もめております(車同士が)けれども。」

竜神様は雷だと危ないのでクラクションにしてくださったのですね、わかります。



そして今回演奏する曲についてのお話。

こういった静かな場所で音楽をするにあたり、楽曲については悩みに悩んだという剛さん。

周りには普通に住宅があり、住んでいる方に配慮したセットリストになっていたのではないかと思われます。


そして、

「これだけ自然に囲まれた中、より昔の古代古来の神様に音楽を捧げたり、自然のサウンドも味方につけながら最後まで音楽を楽しめたらなと思います。今日は色々皆さんに捧げていこうかなと思います。」

ここに今回のコンセプトが含まれている気がします。


私の行っている野外のライブは、ダイブあり、前方のお客さんは揉みくちゃにされ、テンションの上がったアーティストからは口に含んだ水を吹きかけられそれを「聖水!聖水!」と言って喜ぶようなライブでしたので、今回のライブは私にとっては、「まつり」という感じでした。

「まつり」の中身は、祀りとも祭とも奉りとも政り(政治の話し多かったですし!)とも取れて、すべてが合わさってひとつの荘厳な儀式みたいな感じでした。

そう考えると音楽を自然に奉納するということが「なるほどな」と思うというか、音楽で自然と調和って言うか奈良と調和していくということの気持ちよさがわかりました。

自然の中の音は本当に気持ちが良かったです。




そしてメンバー紹介。

いつも僕の音楽を支えてくれている仲間でいつも支えてくれていると紹介されていました。

昨日順番どうすればいいですか?と聞いたら順番なんて無いよ!といわれたそうです。

「ドラムス、屋敷豪太。そして今煙の中から登場しましたが…うふふ(←ミミズ字で解読難しかったです)ベース、吉田健。そしてまた煙のかなから登場です…僕のギターの師匠でもあります、ギター、土屋公平。たまたま服がおそろいで…あ、デキてはいないですよ(誰と服が同じだったのか確認は取れませんでした)。煙は無い登場ですが、キーボード、十川ともじ。そして神々しい方がむこうにいらっしゃいます…パーカッション、スティーヴ衛藤」


一言オトコ言葉で言わせてもらうならば、「すげえ!!!!!」というバック。

いつもこの方々をバックにつけてソロライブをされているのでしょうか????ものすごい贅沢な組み合わせです。音のフルコースですね。

特にスティーヴさんは、誰かのコンサートで何回か拝見して以来のファンです。

その時は皮のショートパンツにサスペンダー(素肌に)、網タイツという出で立ちで登場されたり、ピンクの皮のジャケットにTバック、網タイツ、羽ストールという出で立ちだったりと、本当に私の心を捉えて離さないパフォーマンスでしたので、今回の衣装は「なんて地味なの!?」と思ってしまいました。

あの当時はスティーヴさんもみあげが凄くて、触りたかったなあ…。



…は!いけない、いけない!続きます。


このお話をいただいた時に剛さんは、奈良で歌えるならどこでもいい、すぐやらせてくださいとふたつ返事だったそうです。

ここから、奈良の紹介をちょっとだけされて、「南部はディープ」と紹介されてました。確か神聖なところも沢山あるとかお話されていたかな?




そして、

「ちょっとまじめな話になりますが…政治界が揺れておりますが」

お、おおおおおおお!…お?せ、政治界????

政治と言うのはまつりごとを治めると書いて政治という…と詳しく熟語のなりを説明してくださる剛様。

今の自分たちが色々なことを国に任せすぎたり、他力本願的な考えではなく自力で変革をしなくてはならないと教えてくださいます。


「ひとりひとりがひとつの心になれば本当に日本は変わりますよ。皆さんの心がひとつにならない限り物事というのはそう簡単に変わるものではない。」


ひとつになったらもう日本国土は浄土だなあと思いました。

なんか、剛さんの一言一言には宗教哲学を感じるなあと思って聞いていました。学んでいるのかしら?

体は違っても心は同じと言うのは、仏教哲学でいうところの最高の娑婆世界の状態なのでしょうね。

確かにそういう世が来たら凄いだろうなって思いますが、思っているだけではいけないのですな。「行動せよ!」と…めもめも。



そして奈良とお母様に教えてもらった感情を教えてくださいます。

愛と言うのは求めるものではなく、与えるものである

そして、


「日本で生きるなら、生きていくなら、日本に愛を与えるべき、ああしてくれこうしてくればっかりでは日本は何もしてくれませんよね?」


ああー…。………。確かにね。言葉では分かってはいるのですが、私は与えられてばかりです。

そして与えられた愛を貪欲にむさぼり続けて20ウン年でございます…あああああ!!剛様ごめんなさいませ!!!

私のこんなさもしい愛など、与えるには及びませぬ…と思っているのですが、本当はそのさもしい愛でも、与えねばならということなのでしょう…。

日本へ愛を。




それからの話は色々な方向へ向かいますので、順番に書いていきます。


「区別と差別を間違える人が多い、宗教である無い、日本人である無い、男か女かである無いとかではなく、まわりが何をやっていても、自分がしっかりして愛で受け止めれば済む話、それで良い」との事です。


寺社仏閣によく足をお運びになられる剛様は、宗教的なことではなく自分が生まれた風土のことを純粋に勉強をしたい学びたいという想いで行き、そこで得られる色々なものが音楽のフレーバーになるのだそうです。そういったことから「僕は音楽に助けてもらった」「今も助けられているし、これからも助けてもらえると思ってる」とおっしゃっていました。


そして、

「世間でいわれている本当とされていること、それを本当と思わない…、自分が真実であるという勇気と、自分にしか描けない愛とを持っている人がこれからの時代生き残っていくのではないかと僕はそう思います。まわりに流される人生、そういった人生を僕は歩む気はないので。たった一度きりの人生を自分で切り開いていきますけれども。」

「僕は政治家じゃないので大きく何かを変えることはできないかもしれないけれども、音楽や自分の発言や、さまざまな行動によって日本の意識が変わればいいなあなんてほんとに本気でそう思ってます。」

この発言に関しては個人的には、何かものを表現する人はこれくらいの意識は持っていていいのではないかと思います…って言うかそのほうが安心します(別に日本を変えるとかどうこうじゃなくて)。

個人的には、剛さんだけでなく、表現することを生業にするっていうことはものすごく大変だと思うので、こういう風に思っていないと潰れてしまうのではないかと思うこともあります。

それをあえて発言しない人もいるでしょうし、できないアーティストさんもいるでしょうし、そういうことを思ってもいないアーティストさんもいらっしゃるでしょう。

私個人的な考えを申せば、どんなアーティストさんもいて当然だと思うし、その方々を好きになったら好きになったもん勝ちのスタンスで聴いていますけれど…(私の好きなアーティストさんは色々なタイプがいらっしゃるので)。

ほいで、日本をどうこうって言うのも私には大きく聞こえるけど、剛さんにとってはとても小さいことなのかもしれないし。宇宙規模の壮大スケールで考えれば日本なんて塵にも満たないし。

だから、こうして今回の剛さんの発言を書いていても、多分剛さんのスケールで発言をされているから、その発言の根底なんて本人じゃないとわかりっこないようなきがします。

なにを書きたいのか…わたしよ。どうしたんだい?私よ?





あー、話がそれまくりだあ…。戻ります!


表現者の表現の幅が狭くなってきている」

「ひとりひとりの失言や発言を引っこ抜いていじめる、そういう姿を今の若い世代が見てどう思うかと考えたほうがいい」とおっしゃる剛さん。


私は、表現が飽和状態に感じる時があります。色々な表現が事細かに分散しすぎて分かりづらくなっているような気がします。

そんな中で倫理的な面や失言などはとても分かりやすいから、引っこ抜きやすいのかもしれないですね。

色々抱えているんだろうなあ…芸を生業にする人って…。

わたしは失言のお漏らしが多いので、若い世代に土下寝したいです。口にオムツはかせたほうがいいっす…。



そして、

「気がついた人が色々変えていかないと冗談抜きで、奈良は奈良、滋賀は滋賀と、日本という大陸の中で共和国ができる、お互いに喧嘩をしてしまう未来が冗談抜きで来るのではないか」

と未来を案じておられ、

「自分が人前に出て表現をさせてもらう機会が多いから、日本のために愛を持って表現を続けて行きたいと思っている」

とおっしゃっていました。



そして、表現について。

「多分みんな気がついていると思うんです。本物の表現ていうものを。本物の表現を表現者がしないということは、受け取る方々が本物を見ないから嘘を見ていく、嘘を見ていくということはできるけど、本当を見ることができなくて、本当の評価がなかなかできなくて、自分が何が好きなのか、どうしたいのか、どんな未来を描きたいのか分からなくなっていく…ほんとに悪循環でね。僕たち簡単に麻痺できるから、気をつけなければいけないけれども、あなたはひとりで一度きりですし、僕もそうミュージシャンもスタッフもそうですけれども、本当にこれからそういったことが大事な時代に入っていくんじゃないかな、そういう風に思いますけれども。まあ、僕は今日まで沢山好き勝手やらせていただいておりますけれどね…。」

私の幼い脳みそでは何回も何回もこの言葉をかみ締めなければ、ちゃんと受け止められないと思います。

表現の需給に本当と嘘が混ざるということ…うーん…これは難しいなあ…。うん。


そして、

「ここへはるばる来てくださった方も、泣く泣く来られなかった方も沢山いると思いますが、まあ空は繋がっていますからね。そして皆さんと僕との間に本当の愛が生まれる…こんなに素晴らしいことは無いと思いますからね。本当に複雑などうしようもない世の中だと言ってしまうような日も少なくは無いとは思いますが、僕のふるさと奈良で、よりありのままの自分で言葉や音や愛を捧げていこうと思っています。大切な大切な一日なので、この上空に起こるさまざまな現象を感じ取って、それで自分と言う愛をどんどんどんどん鳴らして、二度とない愛を僕たちと皆さんで描けたらいいなと思います。」

はじめは曇っていたのですが、この時は空にかかる雲がうっすら薄くなってきていました。

泣く泣くこられなかった方とも繋がっている空。何回も何回も見上げました。

私はステージよりもまわりの景色、空、光の筋を見たりしていたことのほうが多かったかもしれません(剛さんに興味が無いわけではなくて)。

空を見たり森を見たりしているのに、音が耳に入ってくるっていう感覚がものすごく気持ちがいいんです!

だからとても素晴らしかったです。

MCはできるだけ本人の言葉をメモしたつもりですが伝えきれていなかったらすみません。


お次は歌です。遅くてすみません…。ああ他の方のところにも参りたいずら…。