5/14 世界遺産劇場 剛さんの石舞台ライブ その6

そしてMC、そして歌、そしてMC☆


ここらへんから凄く寒いことに気がつき(遅い)、ブランケットを取り出して肩にかけるのですが、何回も落ちて…それを取り肩にかけ、でもすぐに落ち…。

私なで肩でですね、カーディガンとかサロペットのひもとかも、すぐにするーんとしてしまうんですね。案の定ブランケットも。

でも今回、寒さに気がついてからは本当に寒くて、「お願いじゃ…わしのことをあたためておくれ…」と何度もお願いしました。でも落ちました。



クッ…おまん!いてこました…

「この春涙という曲もそうなんですけれども、自分もいずれかは死んでいくし、当たり前のことであるけれども当たり前のことではいけなくて、それで音楽を表現を何か形にしたい感情だなあと思ってこういう曲を作ってます。」



静かにはじまるMC。

えらいすんまへん…剛様…と心を鎮めながら聞き始めます。


「人間って不思議なもんでね、本当に苦しい時とか悲しい時って明るい曲を歌われても明るくなれなくて、本当に苦しい時って何かこう胸を突き刺すような言葉であったり、サウンドであったり、そういったものに癒されるということが僕はよくある」


これを聞いて、「剛さんはそうなんだー。ほえー。」と思いました。わたしは、本当に駄目な時は全く音楽聴かなくなり文字も読まなくなりです。一切を遮断するという非常にメンドクサイ傾向があります。

音やらなんちゃらを受け付けないのではないのです。

基本…私めちゃくちゃ素直じゃないんです。天邪鬼ではなく、素直じゃないのです。素直になれなくて。スナナレです。

なんか癒されたい時とか辛いことがあると、わざと癒しを求めなかったり、優しい場所(例えばいい音楽とか本とか)からそっぽを向くといいますか…「わしゃ癒しなんて必要ないんじゃ!ひとりでやったったるわい!」とエンジンを空ぶかしする(空ぶかしなので前には全くすすんでいない)傾向があり、旦那にはすごい面倒くさがられています。

本当に申し訳ないと僕は思う。そしてよくこんなのに何年も付き合ってくれているなあと頭が下がります…。



だからもしかすると私みたいなのは、アーティストの方にすごく失礼なのではないかと思う時が沢山あるんです…。これは剛さんだけに限らずですけどね☆

もしかしたらアーティストさんが「癒す」ことを目的として作っているものを、私は「癒し」として求めていなかったり……理解はしているんですよ、ただ、落ち込んだ時にいつも聴くとか、そういう風になる事が少ないということなんです…だって落ち込みすぎると聴かないんだもん。

だから…全く別な観点から聴いていたりする…ご本人が届けようとする目的と私の捉え方が一致しないのではないかなって思うことがあり…それが時に申し訳なくなるときがあり…ます。

ファンだけど、その届けてくださるものに対して真摯に向き合えば向き合うほど、例えばですけど、一般に言われる受け止め方との相違(批判ではなくてです)が生まれてきたりして、それって大丈夫なんだろうか?それでもファンといえるのだろうか?って心配になったり、いろんな素晴らしい音楽を聴いてきたけど、癒されることを自分がして無かったのか、って思ったり。なんか意味わからないですね。

捉え方って人それぞれだとは思うのですが…私、わがまま過ぎるのかもしれませんね。難しいでやんす…。



だから今回、剛さんが「自分が歌う愛と命を、皆さんの愛と命でどう評価するかは自由です」っておっしゃってくれてすごい安心したんです。

評価とかはおこがましいけど、自由に受け取らせていただくことができてありがたかったです。




ニュースを見て、世の中にあるいたみとかかなしみというものはものすごく複雑と思っている剛さんは、自分が何ができるんだろうといつも思っているそうで、自分の歌を聴きに来てくれる人にだけに、「真っ直ぐ真っ白」を届けているそうです。

この「真っ直ぐ真っ白」が「うふふ!」となったんですけど、それは最後に書きます。




「ステージの上は特別な場所ではあるんでしょうが、ぼくにとってはどうでもいい」


どうでもいいの意味は、「今日のご縁があってご一緒しているこの時間の中でこの時空の中で、ただただ素直に愛しているとかありがとうとかをいえたらいいなと思っているだけなんです」ということです。



そしてミュージシャンの話。


剛さんは、「歌いたい歌歌えていいね」ってよく言われるそうです。

数々のヒットを飛ばすミュージシャンの方から相談を受ける時があるらしく、

「テレビでも雑誌でもそうだと思いますが、本当は自分はこれを作りたい、それを伝えたい、アレを時代に投げたい、でもそんな意見はなかなか通らずに違うものになっている…そういったものと戦って世の中に作品を投げてる人たちって沢山いるなって思います」

と、お話されていました。


「イメージにいいとか、その方が売れるとかそういった理由もあったりして、大事なことなのかもしれないけど、その人が生まれてきた意味とその人の本当をファンは世の中は求めているのになって思う」

「歌いたい歌を歌えているのはどれくらいなんだろうな」


そんな心配をされながら、

「何もしてあげられないけどそういう時は、一度僕のライブに来て」と招待するそうです。


これはすぐに現実となったものじゃないけれども、「何もつくらない僕を、オーディエンスの人はものすごくあたたかい目で見てくれている…こういう景色もつくれるんですよ、実現するんですよ」ということを感じてもらうようにお招きするんだそうです。

「みんなの分までも僕の仲間や沢山の人たちがありのままの表現ができたり、ありのままの表現をそれをありのままで感じ取れるそんな日本が来るように」、だから剛さんは喋ったり、ありのままで表現したいと思ったり、動きたくなるんだそうです。




そして、また静かに語り始める剛さん。


12、11歳の頃奈良を出た、と話しその頃の奈良の空は夕方になるとピンク色になったり紫色になったりするとお話されます。


そしてその頃、イメージ通り生きたほうがいいとかと言われていたそうですが、それはファンの人たちに対して本当じゃない、それでいいのかなって、想っていたそうです。でも、それを求めていてくれる人がいるならそれでいいのかな、それがエンターティナーなのかなと、本当に悩んでいたそうです。


「でも今の僕はそんなことどうでもいい。あんまり考えてない。ありのままの自分を好きになってもらう、ありのままの自分が嫌いだったら、それはもう仕方がない、そんなふうな想いで生きてます。自分は一度きりです。親に生んでもらって一回きりやから、自分のこの大切な人生、自分らしく生きて生きたい、本当にそれが答え。」


剛さんのいう「腹を括る」というのは、このことなのかなあ、とか想いながら聞いていて。

私のような新参者とずっとずっと支えている方とでは重みとかは違うんだろうなあ、この言葉の。




そういったイメージとかいろんなものに押し殺されていたことが続いた時期、どうしても眠れない日が続いたそうで、そんな時、東京の空が奈良の空と同じピンク色になったそうです。

その時に、「素直に帰りたい」とか「奈良と繋がっているということに感動した」のか何かわからないけれど、涙が止まらなくなったそうです。

そんな思いの中で涙を流した後に書いた曲、

「それは自分もものすごく好きで大切な曲」「この曲は今の時代にもフィットしてるのかなって久々に聴いてみたりして思った」


そんな曲。




「PINK」



絶対生で聴いてみたいと思ってた曲。そして今回聴けて良かったと心から思った曲。



剛さんの曲は、私の中で「聴きたい曲」と「聴いてみたい曲」にわかれてます。

PINKに関しては、「今歌ったらどんな風に歌うのかな、聴こえるのかな」って思う「聴いてみたい曲」でした。Siのアルバムを聴いた時からずっと。


これは私の感想ですけどね…、だから実際はわからないですよと言ううえで、感想を書いてみます。うん。

眠れない夜更けのPINKじゃなくて、夜明けのPINKみたいな感覚でした。


なんていうか安定されていて、わたしがCDを聴いた時抱いた印象とはまったく違う、うーん、なんていえばいいのかなあ…、ほっとしました。

でもそのほっとした感情に対して私自身驚きもなく、多分ごく自然にこの今のPINKがある、歌えているような感じがしました。


なんていえばいいんだろうなあ…人間てすごいと思ったかな…。



アレンジは通しで銅鑼とかはいって、奈良の情景にあわせている感じがします。それも凄く素敵でした。





PINK後は「愛とは求めるものではなくて与えるもの、理不尽な言葉で切り裂く人も数多くいるそんな今だけど与えたい」、と話しMCへ。



次歌う曲の説明が、なんかその、この人のいう愛って凄いなと思いました!

「愛を自分はいつも川の中に、中に、こう落として、そして誰の元に届くのかわからないけど、とにかく僕は愛をただただ川に投げるんだ。この愛が、誰かに届いて、誰かが愛に包まれればなんて幸せなんだろう、とそんなことを歌いたいと思って書いた曲」


例えば桃太郎の桃のように(職業ピーチだし@どヤ)、愛がどんぶらっこっこと流れてくるわけです…凄いよ剛さん!!!!!

私もその川のほとりに住みたいです!その川の流れが注ぐ海は、愛の漁場…ヒイ!なんて素敵な☆


…ごめんなさい、ふざけているわけではないのですが…凄いなあと思って。



何となく精霊流し(灯籠流し)とか白線流しのように、想いをこめて流すみたいな感じかなって受け取りました。

「ただただ愛を川に投げるんだ」って、多分今回のライブで一番印象に残っている言葉かもしれません。

いいじゃん、かっこいいじゃん!と思うんです☆だって…それが誰かに届いて誰かが愛に包まれればなんて幸せなんだろうって…「ギブギブギブギブギブギブ」だけの見返りを求めない愛、しかも行く先がわからない、流し愛。

でも与えるだけで幸せなんですよ?…すごいなあ。


剛さんが知らないところで剛さんに「助けていただきました」とか「ありがとうございました」とか、そういったことが起こっていて、「自分がその人を知らなくても届いていくんだなっていう愛の素晴らしさは、この仕事をしているから僕は感じられるんだな」ってすごく思うのだそうです。


だからこそ、


「僕はワンステージ上のアイドルになりたくてずっとありのままで生きてます」


つよしさんの口から発せられるアイドルって単語、ドキッとする。なんか。



ここはメモのまま書きます。

「アイドルっていう言葉はね、人気者っていう意味もあるけど偶像って意味もあるんですよ。偶像っていうのは崇拝されるもの、そういう意味もあります。何か自分は本当に現実を歌うアイドルでありたいから、僕はアイドルを毛嫌いしたことは一度もないし、でも僕が思い描いているアイドルは世間が思い描いているアイドルではないと思うけれども、僕にしかなれないアイドルに僕はこれからもなろうと思っています」


そして、「命というもの、愛というものをテーマにこれからもね、どんどんどんどん表現を続けていこうと思っています」「僕が時代に世の中に日本に捧げる愛の表現はどんなふうな形で、誰にたどり着くのかはわからないけれども、ぼくはこれからもどんどんどんどん捧げていこうかなって思っています」としめて次曲。





「Say Anything」



この曲、好きなんです☆エヘ☆

そして、「聴きたい曲」だったんですが、題名まで覚えてなくて(おいおい)、帰りのバスでお友達に「あの英語詩なんでしたっけ?」と聞いて、「せやせや!せやった!」と思いだしました。


一言で言うと、すっごい生いい!!!!!!!!!!!!!!!!

ボニーピンクさんと歌っていなくても、おひとりで歌われても、全然イイ!!!!!!!(ボニーピンクさんと歌ってるのはそれはそれでイイ!)


ボニーピンクさんも好きで、といいますか好きな男性ミュージシャンのほとんどが「ボニーピンクさんの声が好き」とか、「セッションしたい」とかフィーチャリングされてたりすることが多いのです。

昔、バーバルたんかクレバたんが言ってたんですが、「かゆいとこに手が届く声の持ち主」「一緒に歌っていて気持ちいいんだよね」「ミュージシャンじゃないとわからない感覚かもしれないけど、自分の音にぴたっとあったときって気持ちよくて、それにぴったりはめてくれる才能がある」って言ってました。

なるほど!と思いました。

別にそれが恋だの愛だのじゃなく「男性が惚れる音」って誰かも表現してたかな…例えばJUJUさんとかもそうらしいですよ。



あ、脱線しちゃった…。




この生のSay Anythingがどんな感じに聴こえたかというと……、どうしようもないことを言えば、すごい上等なジャズバーに来ていて、ステージが暗転して名前のない女性歌手が登場するのですが、知らない女性歌手には見向きもしないわけですよ。

でもですね、歌い始めたらあまりの気持ちよさに、飲んでいたコニャックを置いてお客さんがみんなその歌手のほうを向く…、そしてどっぷり引き込まれて、最後はスタンディングオベーションみたいな。



そんな感じ。




…ごめんなさい。いや、でも、本当に凄い惹きつけられたんです!魅力が凄かったんです!

それがたとえて言うならば美しいジャズシンガーのような感じなのです。

で、なんかこの曲は、男性っぽさよりも女性っぽくに聴こえるんです(変な意味でなく)…うーんなんだろう…うーん?




そしてですね、生はなんともいえないジャジー感があるのですが、メロウじゃないんです。そう聴こえるけど違うのです。

ちょっと、とんがってるんです!…はあ…、今思い出して身震いしそうです。その、とんがるくらい、それくらいがちょうどいい愛だぜ!!みたいな☆


(何を言っているんだろう…)


ご、ごめんなさいね。

そしてこの曲の時あまりにも気持ちよくて、気がついたらゆれていたんです☆(み、皆さんちゃんとお聴きになっているにもかかわらずすいません…!)



気持ちよさは、あったかい水の中にいるみたいな、そこで呼吸しないで浮いているみたいな感じ…うーん…子宮の中みたいな感じかな?

最後のゆっくり終わるとこもたまらなく良かったです!!!また聴きたいな☆




そして次のエントリで終わらせようと思います。今日はここまでで。本当にスイマセン。